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明良洪範
十一
世の諺に孝行には水が付くと(○○○○○○○○○)雲り、或老人の物語りに、堀美作守親常の家人長瀬某と雲ふ者、至孝成者にて、老母二孝お尽せり、妻も亦孝なるものにて、夫婦して老母に仕ふること尋常ならず、この長瀬妻お迎んとせし時、容顔の美惡にも拘らず、身分柄にも拘はらず、氏にも拘はらず、隻孝心なる女お迎んと願ひしに、果してかヽる妻お得たり、此辺すべて水宜しからず、井戸は有ても、飲水にならぬ濁水也、故に近隣の者は、皆遠方より清水お汲せ、或は買水お用いなどしける、長瀬何の心もなく門前に井お堀り、酒桶の底おとり、それお二つ伏せてかはとす、さればさのみ深き井にも有ねど、水は至て清水にして、遠方より汲する水よりも、買水よりも、猶よき水にて、是より近辺のもの皆此水お用る故、長瀬が門前の井、未明より群集せり、