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関八州古戦錄
十七
豆州下田の両城没落事
秀吉公聞召し、郷に吾儕打回て海面お巡見せし時、彼砦お見及しが、是お攻擊んには、人数も多く損害し、輒くは乗捕り難からん、俗に雲眼の上の疣(○○○○○)腹心の病(○○○○)是なり、所詮焼討になさしめんと心懸りに思たるに、臨軍不俟君命と雲る兵法の詞お、左馬助会得して、克くこそ仕なしたれ、今に始めざる嘉明が翔かな、