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関八州古戦錄
十七
笠懸山陣営事
此後秀吉公大神君お招かれ、御同道にて高揚の地へ打出、小田原の城お視下し給ひ、家康公の御手お執て、あれ見給へ、北条家の滅亡、程有べからず、気味の克き事にてこそあれ、左あらば関八州は貴客に進らすべしと契約有て、家康主もいざ小便おめさせとて、敵城の方へ向ひ、打連て小便し給けり、されば今の世までも、東国の児女相謂て、関東の連小便と申す事は、此吉兆お伝へたり、