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関八州古戦錄
十七
秀吉公湯本著陣事
小田原の本城へ莟(つほ)みしかば、氏政父子、畑、湯本、石橋、米神へも出張して、防戦お遂べきやの旨、評議せられける処に、松田尾張入道進み出て、気に乗たる大敵に向ひ、後れ色付たる味方の勢、徒に打向て敗北せば、重て有無の一戦協ふべからず、隻先籠城有て、守成堅固お専とし、敵の労お伺はれ、然るべしと申ければ、さしもの諸将奉行頭人まても、直諫しで巧夫の計略お出し、敵お挫くべき適当の貪著なく、彼も是も手お共ぬき、松田が吻而已お守て、虚々と日お送けるは、情なかりし次第なり、〈○中略〉されば其比関東の俚俗、果敢々々しからぬ評議おば、小田原談合(○○○○○)と雲触して、今の世までの常談に伝へ、此時に起れる事なりとぞ、