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駿台雑話

灯台もと暗し しばらくありて燭もて至りぬるに、翁ふとおもひよりしまゝ、燭台おさして、世俗の諺に、灯台もと暗し(○○○○○○)といふは、いかやうの事にたとへていふにやあらん、おのおのいふて見給へとあれば、座客の中ひとりいひけるは、世に何事にてもあれ、外にはかくれなき事お、其もとにてきけば、却て分明ならぬやうの事にかく申ならし候、〈○中略〉翁きゝてすべて比喩の語は、義理のとりやうにて、色々に申さるゝ物にて候、此諺も各たがひに其義おつくされしにて、もはや此外はあるまじく覚え侍る、但各の申さるゝは、いづれも灯台もと暗しお、あしきかたにたとへらるゝにて候、翁は又此諺お、よろしき方に取なしてきゝ度こそ侍れ、又一種の道理もあるべきにや、韓退之が短檠の歌に、長檠八尺空自長、短檠二尺便且光と作れるごとく、燭台も長きは燭のもとくらく、短きは燭のもとあかるし、〈○中略〉しかればもとおあかるくしては、遠きおてらし難し、遠きおてらすは、必もとくらきものとしるべし、〈○中略〉此諺お考ふるに、燭台はながくしてもとのくらきにて、其明おのづから遠きにおよぶ、君子の道は闇然として日にあきらかなるがごとし、もし短うしてもとあかるければ、其明わづかに近うしてやみぬ、〈○下略〉