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後奈良院御撰何曾之解
後奈良院天皇御撰何曾三輪の山もりくる月は影もなし 杉枕
三輪の山は杉お神木(古事によりて)とするより杉といふなり、もりくる月の影なきは真闇の意なり、〈杉枕は杉木にて製したるなるべし、透枕にて彫透しあるかとおもへど、清濁たがへば、さにあらじ、〉上の語は何者と問かけたる語にて、是によりて何曾といふなり、下なるは、それお解たること葉なり、以下皆同じていはず、一々准へてしるべし、〈○中略〉
上お見れば下にあり、下お見れば上にあり、母の腹お通つて子の肩にあり、 一
上の字の下の画は一なり、下の字の上画も同じ、母の字の中腹おつらぬき通じたるも、子の字の肩に引たるも皆同じく一の字なり、かくさま〴〵にいふも、何曾の一格なり、是おかねては一の字四つなりなどいふは、たとへなどの例おひろくしらぬ誤なり、〈○中略〉
鉄の柱に綱つけて綱おば引かで柱おぞひく 針
かねのはしらは、針おたとへいふにて、綱つけては、針に糸おつけたるたとへなり、柱に綱(つな)つくるは、柱おひくべき為なるべきお、今いふ所にかへりて綱は引かずして、柱のかたお揃引て、綱おそへてうごかすなりといひて、物縫ふさまおたとへ、全章みなたとへていふ何曾の一種の体なり、〈○中略〉
谷の虎 たゝうがみ
たにはたの字二つの意にてたゝなり、寅は十二支の卯の上にあれば、つらねてたゝうがみと解きたり、簡易(ことすくな)にいひてたゝみにおもしろし、すべて何曾いひかけたる語は長く、解きたる語は短き物なるに、是はかけたるも、解たるも五言にて、同じほどなるはめづらし、〈○中略〉
嘉永二年正月十一日、君上自去年十二月御所営中為御慰加注解可差出旨承命、自即日起稿、割宇為中巻浄書、而同十七日献之、爾来卒稿、以下又浄書為下巻、竟酉二月朔日再献之、右畢数日之間、元来承命所之謡曲一番述作之、以正月廿八日献之、稿有別巻、以此余暇急卒之解也、追而可遂再考、於上巻者、以諸書散在之何曾雑考他日欲集錄矣、
本居内遠