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嬉遊笑覧
三/詩歌
又判じ物といふも即謎ながら、其内書画などにて、暁らせたるおいふ、浄瑠璃十二段〈枕もんだう〉野中の清水のたとへとは、ひとり心おすますとや、つゝいの水の心とは、やるせもなきとの仰かや、尺なし帯のたとへとは、結びかねたとの給ふかや、きのふはけふの物語に、御茶お進上申せ、もみぢにたてゝ参らせよ、こうようたてよと申事ぢや、同物語、ふろやにかう〳〵ふろといふが有、これはいかなるいはれやらんといへば、ふかうにおよばぬ、醒睡笑に、いづれもおなじことなるに、常にたくおば風呂といひ、たてあけの戸なきお、柘榴風呂とはなんぞいふや、かゞみいるとの心なり、
判じ物、歌林雑話に、上京に新城の出きし正月に、御門のからいしきに、われたる蛤貝お九つならべ置たり、いかなる心そしる人なかりしに、信長公さとき御智恵にて、これは公方の御心うつけて、くがいかけたるといふことお、京重が笑ひて、したる物ぞと、さゝやかせ給ひしとなり、〈○中略〉願人坊の、判じ物お、鼠半切お小くきりて、摺たるおもてきて銭お乞ふ、明和二年の用柳点の句に、一つかみやりながらきく判じ物、こは文化の末の頃迄は、多くもてありきしが、其後はおのづからすくなくなりぬ、此頃に至りては止しやうなり、其始はいつの頃よりかしらざれども、享保十四年己酉四月廿五日、願人共なぞはんじ物板行いたし、町々へ持廻り候儀、無用に可致候旨、奈良屋にて申渡これあり、