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古史徴
一春
古史徴のぞへごと
吾が伊夫伎の屋の平田の大人、〈○篇胤、中略、〉往し文化八年の十月、おなじ学の徒どち相はかりて、柴崎直古が、江戸より帰るに、誘ひ奉りて、吾郷へ請まおして、此国わたりの御弟子ども、夜昼うごなはり侍(さも)らへるに、古典どもお、つばらに解き聞かしめ給ひ、猶まどはしき道のおくかも、ほど〳〵にわきまへ諭し給rへりしほどに、早くも十二月になりぬ、こゝに大人ののたまふは、年の極の事業しげく、春の始のいとなみも為べければ、女猶ち然るかたに勤(いそ)しみてよ、余は筥根山の雪霜ふみ別むがわびしければ、冬とも知らぬ、この暖国に旅いして、春おむかふべし、其につけては、此ほど女たちの請へる事によりて、おのれも早くより思ふ旨あり、何処にまれ静なる家の、一間なる処おと言ふまにま、直古が奥の一間お見たてゝ、移ろはせ参らす、さて有合ふ古書ども参らせよとあるに、鄙びたる郷の、初学のともが、何おかは持はべらむ、有ふりたる書ども五部六部、とり集(つど)へて奉るお受取らして、女等は家の業事しげかるべし、とく営みて勿おこたりそ、春おむかへて、長閑にこそと言ひさして、やがて幽り給へるは、五日の日にてぞ有ける、かくて後は、夜の衾も近づけ給はず、文机に衝居より給ひてより、夜も日もすがら書およみ、かつ筆とりておはす、朝夕の御饌参らす間も、あからめもせで書よみつゝ、文机の上にてきこしおしたまひき、然てのみおはすほど、十日まり三日四日の比とおぼゆ、かく夜ひるならべて物し給ひなば、御軀やいたはり給ふべき、今夜よりは、夜床に入たまへと、甚くしひ申しければ、然らばしばし睡(まど)ろまむ、覚(さむ)るまで勿おどろかしそ、枕もてことて、頓て衾引かづき、高息引してうま寐し給ふほど、日一日夜二(○○○○○)夜おなじ御有さまなり、余りに長寐し給ふ事の、また心もとなくなりて、そと覚(おとろ)かし参らせければ、勿さましそと言てし物おと雲ひてやがて、文机に居よりて勤(いそし)み給ふこと、前の如くになむおはしける、当年もはや大晦日といふになりぬ、元日といふ日のつとめて、直古がりゆきて、あるじと共におまへに出て、年の始の寿詞まおせば、大人はいと早く清らに身づくろひし、御面しろくほゝえみて、去年とやいはむ、今年とやいはむ、よべの丑の時の鐘打ころまでに、書おへたるこの書よ、女らがねもごろに請へるに、うつなひ実(まめ)だちて、さし幽りたる其日より、年の内にかき竟させ給へと神たちに宇気比まおしたりし、かひ有げなりとて、さし出し給ふに、まづ打おどろきつゝ、もて退きて読見るに、既に請まおせる古書どもに、こゝら記せる神代の事蹟の、まことまがひお撰りわきて、其正説おまさごとゝ文成し給へる一部は、すなはちこの古史成文、しか撰りとり給へることわりお、徴し給へる一部は、すなはち二の巻より次々の徴なりけり、また霊真柱(たやのみはしら)といふおさへに著はして、道のおくかお示し給ふ、〈○中略〉
文政二〈己卯〉年四月 駿河国府人新庄仁右衛門道雄