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今物語
嘉祥寺僧都海恵といひける人の、いまだ若くて病大事にて、かぎりなりける比、ねいりたる人、俄におきて、そこなるふみなど取入ぬぞと、きびしくいはれけれども、さる文なかりければ、うつゝならずおぼえて、前なる者どもあきれあやしみけるに、みづから立走て、あかりしやうじおあけて、たてぶみおとりて見ければ、ものども誠にふしぎにおぼえてみる程に、是おひろげて見て、しばし打あんじて返事書てさし置て、又頓てねいりにけり、起臥もたやすからずなりたる人の、いかなりけることにかと、あやしみける程に、しばしねいりて、汗おびたゞしく流れて、起上りてふしぎの夢お見たりつるとて、語られける、おほきなるさるの、あいずりの水干きたるが、たてぶみたる文お持て来つるお、人の暹く取入つるに、自ら是お取て見つれば、歌一首あり、
たのめつゝこぬ年月おかさぬればくちせぬちぎりいかゞむすばん、とありつれば、御返事には、
心おばかけてぞたのむゆふだすき七のやしろの玉のいがきに、とかきて参らせつる也、是は山王よりの御うたお給りて侍る也と語られければ、まへなる人あさましくふしぎにおぼえて、是は隻今うつゝに侍ること也、是こそ御ふみよ、又かゝせ給へる御返事よといひければ、正念に住して、前なる文どもおひろげて見けるに、露たがふことなし、其後やまひおこたりにけり、いとふしぎなり、