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承久記

院宣の御使には、推松とて、きはめて足早き者ありける、是えらばれてぞ被弁ける、平九郎判官私の使お相添て、承久三年五月十五日の、酉刻に郡お出て、劣らじ負けじと下ける程に、同十九日の午刻に、鎌倉近う、片瀬と雲所に走付たり、平九郎の判官の使は、案内者にて、先に鎌倉へ走入て、駿河守に文お付たれば、披見して、返事申すべけれ共、道の程も、はヾから敷間、態と申さぬなりとて追出しぬ、