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太平記
三十五
北野通夜物語事附青砥左衛門事
後の最勝園寺貞時も、追先従又修行し給しに、其比久我内大臣、〈○通基〉仙洞の叡慮に違ひ給て、領家悉被没牧給しかば、城南の茅宮に、閑寂お耕てぞ、隠居し給ひける、貞時斗薮の次でに、彼故宮の有様お見給て、何なる人の棲塀にてかあるらんと、事問給処に、諸大夫と覚しき人立出て、しかじかとぞ答へける、貞時具に聞て、御罪科差たる事にても候はず、其上大家の一跡、此時断亡せん事、無勿体候、など関東様へは御歎候はぬやらんと、此修行者申ければ、諸大夫さ候へばこそ、此御所の御様、昔びれて加様の事申せば、雲事や可有、我身の無咎由に、闘東へ歎かば、仙洞の御誤お挙るに似たり、縦一家此時亡ぶ共、争でか臣として、君の非おば、可挙奉、無力時刻到来、歎かぬ所ぞと被仰候間、御家門の滅亡、此時にて候と語りければ、修行者戚涙お押て、立帰にけり、誰と雲事お不知、関東蹄居の後最前に此事お有の儘に被申しかば、仙洞大に有御恥、久我旧領悉く早速に被還付けり、さてこそ此修行者おば貞時と被知ける、〈○下略〉