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太平記

備後三郎高徳事附呉越軍事
其比備前国に、児島備後三郎高徳と雲者あは、主上〈○後醍醐〉笠置に御座有し時、御方に参じて、揚義兵しが、事未成先に笠置も被落、楠も自害したりと聞しかば、力お失ら黙止けるが、主上隠岐国へ被遷させ給と聞て、無弐一族共お集て評定しけるは一〈○中略〉見義不為無勇、いざや臨幸の路次に参会、君お奪取奉な、大軍お起し、縦尸お戦場に〓共、名お子孫に伝んと申しければ、心ある一族共皆此義に同ず、〈○中略〉杉坂へ著たりければ、主上早院庄へ入せ給ぬと申しける間一無か此より散々に成けるが、せめても此所存お上聞に達せばやと思ける聞、微服潜行して、時分お伺けれ共、可然隙も無りければ、君の御坐ある御宿の庭に、大きなる桜木有けるお押削て、大文字に一句の詩おぞ書付たりける、
天莫空勾践 時非無範蠡
御警固武士共、朝に是お見付て、何事お何なる者か書たるやらんとて、読かねて則上聞に達してけり、主上は軈て詩心お御覚有て、竜顔殊に御快笑ぜ給ども、武士共は敢て其来歷お不知、思咎むる事も無けり、