[p.1020]
桃源遺事

一同〈○元禄〉五年壬申八月、摂州湊川江、佐々介三郎良峯宗淳おつかはされ、楠正成の墓お御修復被成、碑おたて石お畳み、壇おなさせ給ふ、其高さ五尺、其径一丈、碑面には西山公〈○徳用光国〉御自筆にて、鳴呼忠臣楠子墓とあそばされ、碑陰には、俊水先生兼て撰置れ候讃お御彫せ、且又碑亭おも御作らせ候、元は墓印に梅の古木これ有候へしお、その梅おば碑お御建候節、医王山広厳注勝寺の本堂のかたはらへ、御うつし被成候、
頭書 其(一本)側にて、田畑調給ひて、広厳寺の僧千厳に附し給ひて、永く香花の料に備給ふ、