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太平記
二十
結城入道堕地獄事
結城上野入道〈○宗広〉が乗たる般、惡風に放されて、〈○中略〉伊勢の安野津へぞ吹著られける、〈○中略〉俄に重病お受て、起居も更に協はず、定業極りぬと見えければ、善知識の聖枕に寄て、〈○中略〉今生には何事おか思召おかれ候、御心に懸る事候はヾ、仰置れ候へ、御子息の御方様へも伝へ申候はんと雲ければ、此の入道已に目お塞んとしけるが、〈○中略〉今生に於ては、一事も思残事候はず、隻今度罷上て、遂に朝敵お亡し得ずして、空く黄泉のたびに、おもむきぬる事、多生広劫までの妄念となりぬと覚へ候、されば愚息にて候、大蔵権少輔にも我後生お弔はんと思はヾ、供仏施僧の作善おも致すべからず、更に称名読経の追墳(ついひ)おも成すべからず、隻朝敵の首お取て、我墓の前に懸双て見すべしと雲置ける由、伝ら給り候へと、是お最後の詞にて、刀お抜て逆手に持ち、歯嚙おしてぞ死にける、〈○下略〉