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平治物語

義朝野間下向事附忠宗心替事
去程に義朝は大炊が許に座しが、角ても可有ならねば、軈て立出給ふ、大炊は是にて御年お送り、閑に御下り候へと申しけれ共、援は海道なれば悪かおぬべし、朝長おば見続給へとて、出むとし給ふ処に、宿の者共聞付て、二三百人押寄たり、佐渡式部大輔是お見て、援おば重成討死して通し進せ候はんとて、或家に走入、馬引識し打乗て、狼尽也雑人どもとて、散々に蹴散て子安の森に馳入、と向ふ敵十余人射殺し、左馬頭義朝自害するぞ、我手に懸たりなど論ずべからずて、先面の皮おけづお、腹十文字に掻切て、廿九と申に、絡に空しく成にけり、〈○下略〉