[p.1022][p.1023]
保元物語

義朝幼少弟悉被失事
此君達〈○源義朝子〉に各一人づヽ乳母共付たりけり、丙記平太は天王殿の筑母、吉田次郎は亀若、佐野源八は鶴若、原後藤次は乙若殿の乳母也、〈○中略〉乙若〈○中略〉三人の死体の中に分入て、西に向ひ念仏三十返計被申ければ、頸は前へぞ落にける、四人の乳母ども急走寄り、頸もなき身お抱つヽ、天に仰ぎ地に伏て、おめき叫ぶも理、〈○中略〉内記平太は直垂の紐お解て、天王殿の身お我膚にあてヽ申しけるは、〈○中略〉是より帰て命生たらば、千年万年おふべきや、死出の山三途の河おば、誰かば介錯可れ申、恐敷思召さんに付ても、先我おこそ尋給はめ、生て思のも苦きに、主の御供仕らんと雲も不果、腰の刀お抜儘に、腹掻斬て失にける、恪勤の二人有けるも、幼く御座しか共、情深く座つる物お、今は誰おか主と可憑とて、指違へて二人ながら死にけり、此等六人が志、無類とぞ申ける、同く死する道なれども、合戦の場に出て、主君と共に討死し、腹お切は常の習なれども、懸る例は未だなしとて、誉ぬ人こそなかりけれ、〈○下略〉