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平家物語

三日平氏の事
五月四日の日、池の大納言より盛の卿、くはん東へ下向、〈○中略〉援に弥平兵衛宗きよといふ侍有、さうでん、せん一の者なりしが、あいぐしてもくだらず、いかにやと宣へば、君こそかくてわたらせ給ひ候へ共、御一家のきんだちの、西海の波に、たゞよはせ給ふ御事が、心ぐるしく候て、いまだあんどしても覚候はねば、心すこしおとしすへて、おつさまにこそ、参り候はめとぞ申ける、大なごんはづかしう、かた腹いたく思召て、誠に一門に引わかれて、おちとゞまつし事おば、我身ながら、いみじとは思はね共、さすが命もおしう、身もすてがたければ、なまじいにとどまりにき、此上はくだらざるべきにもあらず、はるかのたびにおもむくに、いかでか見おくらざるべき、うけず思は、ゞ、落とゞまつし時、などさはいはざりしそ、大小事、一かう女に社いひ合せしかと宣へば、むねきよいなおり、かしこまつて申けるは、あはれ高きもいやしきも、人の身に、命程おしき物やは候、されば世おばすつれ共、身おばすてずとこそ、申つたへて候なれ、御とまりおば、あしとには存候はず、兵衛の佐〈○源頼朝〉も、かひなき命お、たすけられ参らせて候へば社、けふはかゝるさいはいにもあひ候へ、るざいせられ候ひし時、こあま御前〈○池禅尼〉の仰にて、あふみの国、篠原の宿まで、おくりたりし事など、今にわすれずと候なれば、御供にまかりくだりて候はゞ、さだめて引出物、きやうおうなどし候はんずらん、それに付ても西海の波の上に、たゞよはせ給、御一家のきん達たち、又はこうれい共の、かへりきかんずる所も、いひがひなう覚え候、はるかのたびに、おもむかせ給ふ御事は、誡におぼつかなう思ひ参らせ候へ共、かたきおもせめに、御下り候はゞ、まづ一ぢんにこそ候べけれ共是は参らず共、更に御事かけまじ、兵衛の佐殿、たづね申され候はゞ、おりふしあひいたはる事有と仰られ候べしとて、涙おおさへて、とゞまりぬ、是お聞侍共、みな袖おぞぬらしける、〈○下略〉