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太平記
十六
新田殿湊河合戦事
数万の敵勝に乗て、是お追事甚急なり、され共何もの習なれば、義貞朝臣、御方の軍勢お落延させん為に、後陣に引さがりて、返合せ〳〵戦れける程に、義貞の被乗たりける馬に、矢七筋まで立ける間、小膝お折て倒けり、義貞求塚の上に下立て、乗替の馬お待給へ共、敢て御方是お知ざりけるにや、下て乗せそとする人も無りけり、敵や是お見知たりけん、創取籠て是お討んとしけるが、其勢に辟易して、近くは更に寄らざりけれども、十方より遠矢に射ける矢、雨や雹の降よりも猶繁し、〈○中略〉小山田太郎高家遥の山の上より是お見て、諸鐙お合て馳参て、己が馬に義貞お乗奉て、我身は徒立に成て、追懸る敵お防けるが、敵数たに取籠られて、遂に討れにけり、其間に義貞朝臣御方の勢の中へ馳入て、虎口に害お遁給ふ、