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鎌倉大草紙

越後の守護人上杉相模守房定、関東の諸士と評議して、九け年が間、毎年上洛して捧訴状お、基氏の雲孫永寿王丸お以、関東の主君として、等持院殿〈○是利尊氏〉の御遺命お守り、京都の御かためたるべきよし望て、無数の圭幣おついやし、丹精お尽しなげき申ければ、諸奉行人も猶と感じ、頻に吹挙申けるが宝徳元年〈○宝徳元年、一本作文安四了卯、〉正月御沙汰ありて、土岐左京大夫持益にあづけられし永寿王殿おゆるし、亡父持氏の跡おたまはり、公方御対面あり、御太刀御馬お被下、同二月十九日関東へ下らるゝ、