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賤岳合戦記

勝家敗北並毛受勝〈○勝一本作庄、下同、〉助忠死之事
毛受勝介、其趣お見、柴田〈○勝家〉に申けるは、御意之上、とうかう申に似たれども、それは昔尾州において、度々軍になれたる下々、数多持給ひしに因て、其働も有しぞかし、此度は見逃きゝにげに、数度逢たる下々にて、おはしまし候故、過半落失ぬ、昨日より思召よりし事お、先手の者ども不致死も、又如此落ちりしも、皆極軍のしるし、眼前に候、是にて雲ひがいなき討死おなされ、名も知れぬ者の手にかゝり給はゞ、後代迄口おしかるべし、願くは北の庄へ御帰城被成、御心静に御自害候へ、某御馬印お請取奉り、御名代に是にて討死お致候べし、其隙に急ぎ御帰陣被成候へ、斯申候もとうかう思召候はゞ、見るが内に、徒に成べう覚奉ると、急ぎ諫奉れば、流石其道に得たる勝家なれば、猶なりとて、五幣お勝助に渡し、心もあらん者は、毛受に与せよと雲捨て、諸鐙お合せ退し也、勝助五幣お請取、我手の者三百余人、其外勝家の小姓馬廻、少々左右に随へ、原彦次郎居たりし要害、幸に明しかば、是に取入、老母妻子共方へ、形見の物お、旧功の者に渡し遣し、かくて盃お出し、樽あまた取ちらし、それ〳〵と雲し時、皆土器おつとり〳〵酌たりけり、追行兵共、柴田が馬印お見、是に修理亮こそ扣へたれ、まばらがけすなと、追行勢お制し止るも過半せり、又勝家討取、名お天下に揚んと、勇むも有て、ひた〳〵と取巻し処に、勝介名乗けるは、天下に隠もなき鬼柴田と雲れしは、吾なりとて、あたりお払て突て出ければ、二町あまりはつとひらきにけり、かゝる処に、兄の毛受茂右衛門尉、殿おしてありしが、此由お聞て、さらば弟と一所に討死せんと思ひ、向ひたる敵お追払ひ来り、〈○中略〉息おもさせず戦しか共、或手負或討れ、残りすくなに成にけり、勝介兄に向ひて勝家退給ふて一時に余りぬべし、心安く退給ひなん、いざ心よく最期の合戦して、腹きらんと雲まゝに、残りたる兵十余人お引連突て出、散々に相戦ひ追ちらし、其後兄弟腹おぞ切たりける、