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東遷基業
十三
大、聖寺城陥附大谷吉隆計策の事
山中の湯本に、角屋六郎右衛門といふ者有、彼も此とき〈○関原の時、大聖寺籠城、〉えらみ出されて、主従三人、城に籠る、既に落城に及びし時、六郎右衛門下人権介といふもの、主人に向て、今は寵城協ひがたし、討死の御覚悟有哉と問に依て、六郎右衛門がいはく、さればよ恩も尼もなき、此殿の為に、御家中の面々と、枕お並べて死するも、過たるやうなれども、敵城内へ乗込たれば、のがるべき便りなし、此上は思ふ敵に逢て、討死する外は有まじといへば、権介が曰、あれ御覧候へ、首おとりたる寄手の兵、皆城外へ出ると見へたり、然ば某が首お切給ひ、高名したる寄手にまぎれ、城中お御出有べしといふお、六郎右衛門更に同心せず、たとひさかしき謀にもせよ、罪なき下人の首おきりて、死おのがるゝ道やあるべき、よしなき事おいわんより、女等が身お全ふする、才覚せよといふうちに、権介小刀おぬひて、咽おかき切、二言ともいわず死ければ、六郎右衛門、今は力なく、権介が遺言に随ひ、城中お出て見るべしとて、権介が首お切て、たぶさお提、一人の下部お引具して、追手金け丸の方へ出けるに、見とがむるもの一人もなくして、山下へ下りけれ、それより権介が首お、下人にもたせて、其夜山中に立帰ち、首お懇に葬りけるとなり、