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明良洪範

浅野因幡守長治の家老福尾勝兵衛は、主人病死の節は、殉死すべしと思ひ定めて居たるに、殉死停止の命令出たれば、拠なく殉死お止め、葬送の供して家お出てより、再び家に帰らず、其まゝ墓の前に蹲踞して、終日終夜明し暮す、食事も宿より贈れば食し、贈らざれば食せず、幾度迎ひお遣はせ共帰らず、其心お問へば、我は殉死すべき覚悟なりしに、停止の命令出しにより、殉死はせざれど、其心変ぜざれば、墓前に伺候して天命お尽す也、生涯帰宅はせざる也と申切る、其忠心確乎として奪ふべからず、日数積り雨露に濡て居ける故、此方へ御入り有れと、寺僧申されけれど一向動かず、式部少輔長照も不便に思はれ、寺僧へ談じて、廟所の山間へ庵室お造りて、与へければ、援に居て朝夕廟前の塵お払ひ、生に仕る如くにして生涯お送りける、又類ひなき忠志也、