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明良洪範

完文年中、上州高崎の城主安藤重博の納戸にて、差料の腰の物紛失す、此事吟味の為とて、銘々の器物お互に立会改し所に、納戸役の器物の中より見出しける、其器物の主は知ざる事なれ共、其中より出し事なれば、是非なく死お極む、其者利直の身に悪名お残さん事口惜敷事なり、武士の冥利に尽たりと歎きながら、死せん用意おなす、同役まづ待れよ、下々迄詮義すべしとて、悉く糺明せし所に、草履取りに甚恐れたる様子の者これ有故、これお吟味しけるに、私盗取候へ共、御詮義余り急なる故、隠し所なく、拠なく主人器物の中へ入置たりと申ければ、主人の咎は消へて、其草履取お一人罪せられける、其後亦同じ場所にて刀一腰紛失せり、此度は吟味猶火急なる故早速知れ、奥坊主の中より盗賊出たり、下屋敷にて死罪に行るべしとて掛りの役人召連行く所に、坊主頻にくどき立て歎ける故、撿使お始皆笑て、さて〳〵おくれたる奴哉、今に至て歎たりとて、赦さるべきや、覚悟お極めよと雲けるに、坊主頭お振て、いや我命お惜て歎くに非ず、最初御刀紛失の時、無二の忠臣お殺せしは、我殺したる也、其時の盗賊も我なりしが、御咎お恐れ納戸役に罪おすり付け、納戸役の器物の中へ入置たる也、さればかの主従の者は一向知る事え非ず、吟味に及び、思の外主人の咎に落たるお見て、小者主の命に代りて、盗人と名乗て罪に落し時、我名乗て出んと思しかど、賤き根生故夫なりにし、かの忠臣お斬らせて、おめおめと存命して居り、惡き手僻の止ずして、今度又斯の如し、今死ぬ命お其時に捨なば、かの忠臣お殺す間敷にと存じて、夫お歎き候也卜雲、援に於てかの小者の忠誠顕れたり、