[p.1043][p.1044]
明良洪範

紀州松平左京大夫殿幼童の時、疳症お煩ひ給ふ、菅沼主水之お歎き、病気と号して出仕お止め、密に熊野新宮へ祈願し、百日の間跣し参りして、左京大夫殿の病気平愈おぞ祈りける、〈○中略〉左京大夫殿へ目見えして申けるは、我等全く病気にては之無く、実は君の御病気お大事に存じ、熊野神宮へ祈誓ん、百日跣し参り致候所、霊験の大妙薬お授り申候、明日差上申べしと雲て、次の間へ来り、近習の人へ申けるは、明日我等登城前に揃へ置べき物有り、新き俎板庖丁まな箸砂鉢お二つ三つ、上酒お二三升、蒲団三つ計、本道外科医師血留、総て金瘡の療治に入用の物悉く揃へ置べしと申渡したり、是は如何なる事にやと、用人毛合点行ざれども、家老の申付なれば、右の品々相揃へ置く所に、翌日菅沼主水登城し、隻今御薬お差上申べき問、御表へ御出なさるべしとて、御居間の次の間へ、蒲団お二つ三つ重ね敷き、其上に俎板庖丁鉢皿の類お置き、金瘡療治の用意悉く調へ置て、左京大夫殿御表へ出らるヽと、やがて菅沼蒲団の上へ上り、自ら左の方の足お出し、脇差お抜き、股の肉お五六寸切取り、俎板の上に置と、医師は早速疵所お洗ひ薬お付、木綿にて巻、残る方なく手当したり、さて菅沼は切取しにくおさし身の如く作り、酒に浸し、まな箸お以幾度もあらひ置、さて銚子お取寄せ置き、右肉お二切喰ひ、舌打して是こつ御告の妙薬にて候、召上り候へとて差上る、左京大夫殿是非なく一切口に入られ呑込れしが、げつと雲て吐出し給ふ、菅沼是お見て眼お怒らし御比興也、御病気御全快なければ、御生甲斐なしと申ける、是に因て左京大夫殿止事お得ず、又一切呑込給へば、今一切と雲て以上三切進らせ、其後酒お進らせ、篤と落付たるお見て退出しける、其時詰居たる者は各心に驚き、一言も雲ず息お詰て見て居たると也、左京大夫殿其後全快し、再び発る事なく、勇健にて長命なりしとかや、菅沼が忠志の厚き事、末代にも有難き事也、