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窻の須佐美追加

元禄の頃、牧野内匠頭御小姓組番頭にて、当番なりしが、御社参の前にて、忌服お禁ぜられしお、心得違たる事有て、職おけづられて籠居すべきよし、命ぜられければ、かき籠て三四年になりぬ、疾も出て快事もなかりしかば、横溝隻七と雲士、年若きものなりしが、主君の年も老、若し此うちに変も有なば、家お滅さん事お深く悲、させる罪にもあらざるよし、こまやかに書記し、川越少将の第に往て、執事の人々に対面したきよし言入けるに、事六かしげに聞へければ、ありあはざる由お雲出しぬ、執次人雲るは、我等に申おかれよと有しに、何己ぞ執事の御方へ、直に申度侍り、出仕有ん迄待申べき由雲ける時、陪臣として刀お携られし事、如何なるよしにやと咎めければ、召つるゝ者の無き故にて候へど、御咎めに逢ては迷惑の由言て、帰りつゝ思けるは、主君の為に志お尽さんとして、却て咎められぬれば、此事あしく沙汰ありなば、君の為に罪おそへなん、口おしきわざ哉と思ひ定め、其由おくれ〴〵と書つらねて、頓て自殺しけり、内匠頭驚きて、大久保玄蕃頭は従弟なりしかば、如何せむと談じられければ、玄蕃頭明けの日、殿中にて老臣達列坐の中にて、ことの由お細々と申されし時、川越少将もそこに在て、殊勝の若者哉、不便の事也、且少作の籠居も程へぬる事也、御免有ても宜しかりぬべしとて、上聴に達してゆるさせ給けり、唯七が無二の志、大臣おも感ぜしめけるこそ、