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芸備孝義伝
一/広島
上林新八家来与右衛門上林新八は、もと周防の国徳山の士なりしが、故あり浪人して、宝永の始つかた、広しまに来り、人の家かりて住けり、新八貧くしてばたいとけなく依頼べき人もなかりしが、一人の下部あり、名お与右衛門とよぶ、朝夕ひまなく物おつくり売しうなし、新八おはぐゝむこと年久し、それのみならず、常に人道のおしへお加へがしこく生し立て、殊に武士のわざおば、かたのごとく修煉させけり、享保十年七月廿九日、銀壱貫目お賜はりて、その忠勤おあらはさる、与右衛門その銀お以て家お買ひ、主人お移すませけるが、幾ほどなく新八召出されて、当家の臣となりぬ、与右衛門主につかふる、すべて四十七年にして、延享元年甲子の三月某の日身まかりけるとなん、