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近世奇人伝

駿府義奴
駿府客舎石垣甚兵衛といへるものゝ僕八介、十一歳より此家に来り仕へしが、十五になりける年、家衰ぬれば奴婢皆暇お出せしに、八介は年まだ幼しといへども、貧困お見捨て他へ行べきにあらず、且二君に仕ふる志なしとて、是より昼夜おいはず、寒暑おさけず、或は山賤の業おなし、又賃雇の役にわしり、唯銭お得るの多きお喜びて辛労おいとはず、〈○中略〉伊勢参詣の供にやとはれて、其賃銀と路費おかねて金壱片お得、是お前日主に与へて、己は一銭もたくはへず、昼は重荷お持ながら物お喰はず、夜はひそかに旅舎にかたらひて価お出さず宿り、人々の余飯お喰ひて過せしなど、其外唯主の歓おみるお薬しみて、身お省ざる有さま、又類有がたし、且敬お尽せるも亦人がらには似ずとそ、宝暦五乙亥秋、府尹松前氏是お召し、佯怒て、其主甚兵衛が罪お算へて、かゝる無頼の者に志お尽すことはいかにと責、はては牢にこめんとまで試給ふお、八介、主の罪はいかにもあれ、吾は恩重きこと親に勝れり、いくほどもなき老の生涯お見果て後は、命おも召れ候へ、今吾なくば飢渇お誰かは救ひ侍らんと、詞お尽し泣悲ければ、府尹お初諸吏皆聞に忍びず、涙にむせび譫、さて府尹先の言は女お試んための佯也、懼る事なかれと、厚く是お慰め、終に上聴に達し、明るとし正月六日銭五拾貫文賞として官より下し賜ひ、府尹も是が至誠お感じ給ふあまりに、其子息お侍食せしめ饗お賜ふ、