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肥後孝子伝
後編上
政所村三八〈並〉彦介
三八彦介兄弟は、鶴崎高田の郷、政所村の伝右衛門と雲民の奴也、伝右衛門年々に年貢お負ひ、其負めに利足加はりて後、若干に成りければ、家屋敷お皆売て是お償ふといへども、猶足ざる所米六十俵あまり也、因て三八が身一生お質にして償はむとす、時に三八年二十三、村の長にはかりて雲やう、主人の為に我身一生お質にせん事は、少しもいとひ候はず、されどかくばかり侍ふとも、恐くはつぐのふごとあたはじ、又我出て人に仕へば、誰か主人お見継候はん、願くは今より後其負めの米に利お加へず、元の儘にて償ふことお許し給はゞ、我等身お尽してこれおつぐのひ候はんと、村の長其志お感じて、願ひのごとくす、夫より三八弟の彦介が未幼きおつれて、冬は日向国の炭山に行て炭お焼き、夏は家に在て農業お励まし、年月いろ〳〵にかおくだきて、ついに其負めおすませけり、〈○中略〉宝暦七年兄弟お賞して、米銭若干お賜る、