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芸備孝義伝
一/広島
紙屋町漆屋新七家来六兵衛六兵衛は、山県郡本地村の人なり、廿三といふとし、広島に来りて、うるしや新七が家につかへけるが、心ざま正しきものにて、年月つかふるうちに、新七ふたゝびまで類焼したりしが、六兵衛はたらきたすけて、家倉もとの如く建成けり、その後新七死て、その子某は、心うきたるものなれば、六兵衛常にいさめいましむといへども、みづからしづめえずして、遂にいづかたへかたちさりぬ、六兵衛深くうれふれども、せんかたなく、新七が外孫のありけるお、主として、もりそだて居たりしに、其家また類焼しけり、六兵衛猶たゆまずして力お尽し、また家つくりして、ぬり物もとのごとくあきなふ、渠給銀のさだめもなく、身にはうるさきものゝみ著て、いさゝかもいとふ色なく、たゞひたすらに、主の家おおもんず、完政元年八月十五日、銀おたまはり、その忠勤お賞せらる、六兵衛ことし七十四、主につかふること五十年に及びぬ、