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近世奇人伝

若狭綱子
若狭の国小浜の府下に、病狼あれたることありしに、某士のうちに使るゝ小女、十四五歳にて綱といへるが、主の幼見お背に負て、そのわたりに遊びける時、彼狼不意に走来てとびつきけるお、綱は急に己が裾おまくりて背の子おおほひ、うつぶしになりたる時、狼は綱女が尻へ喰付ぬ、さる間に、人々聞つけて集りしかば、狼は即走さりたり、さて彼女お物にのせたるまでは、尚詞たしかに、主の子の故なきよしお告しかば、道にて息絶たり、やがて其親のもとへ舁入たるに、主の妻も聞て、かけり来れるに、綱が母、幼児おわたして、血にはまみれ給へど、つゆばかりあやまちせさせ奉らざりしお、悦びはべるといへり、此母もたゞものにはあらざりけり、此ことお国の守聞し召て、二なく憐がり給ひ、大なる石碣おたて、忠烈綱女の墓としるし、銘は儒臣小野忠次郎に命じて、かゝせ給ひ、三日大仏事おおこなはれ、遠近の人々も詣、詩歌の作、こゝろ〴〵に手向ぬと聞えし、