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雲萍雑志

江戸に諸崎某といふ人あり、予〈○柳沢淇園〉が母かたの縁にして、豪富の米問屋なりしが、ある年伊勢参宮のかへるさに、遠州佐夜の中山に休らひ、ところの名物飴の餅お食ひける時、〈○中略〉諸崎はあるじにむかひ、幼き児お負ひたる童は、いづこの家のものぞと問へば、この山かげなる農夫の子にて、〈○中略〉善おかたりて惡おいはねば、あはれみ養ひ侍りぬといふに、諸崎しきりにほしくといへば、それこそ彼が幸ならめと、母と兄とに告げやれば、よろこび来りて、主とゝもに奉公の事ねぎつれば、主従契約して、中山にて得し者なればとて、名お中吉と改め召し仕ふに、十年の勤め私なく、すべて主人の非おあげ、諫むることしば〳〵なれば、つひにはうるさく思はれ、忠言耳にさかふのならひ、はては不興おうけ、二十の年に身お退き、ねもごろにせし方お頼みて、しばしがほどは忍びけり、斯れば諸崎のみにかぎらず、財集まれば奢れるならひ、己れに倹お守るとすれども、おのづからゆるす心のいできて、〈○中略〉名におふ豪富の家なれども、つひに財宝お分散して、あるじは逆井といへる、片田舎に潜み隠れ、持ちつたへたる調度のたぐひお、けふりの代となしつゝも、三とせばかりお送れるうち、身は生お養はざるに労れ、住家は明暮の乏しきに壊れて、疫におかされ、病重りて死お待つばかりといへども、訪ふ人だにもいらざりしが、彼中吉は心正しく導引の業お、過ぎはひとして、主家のやうお伺ふに、主人の病あつしと聞くより、とみに逆井の里に赴き、しひて看病のつとめおねがふに、不興おゆるされ、介抱すれども、その日おおくる過ぎはひだになければ、昼は野菜お商ひて、飲食の資となし、夜は導引おことゝして、主人が薬の料に替へ、夏は枕床お凉しめて、炎熱おしりぞけ、冬は肌にあるじおあたゝめ、身は藜麦の麁粮お嘗めて、より〳〵鯉魚の羹などすゝめ、誠忠至らずといふことなければ、諸崎おひ〳〵快方におよび、起居もつねに違はねば、ある時中吉主人にむかひ、黄金五両お取りいでゝ、吾もひとつの思いれ侍れば、しばしのいとま給はるべし、これより浪華に赴きて、主人の家お再興すべし、大利は時お得てうべく、是お元としこのあたりに小商して待ち給へ、黄金はおのれ理お説きて主家の支配お勤めたる、二人おすかし借りつれば、とかくにいとま給ふべしとて、涙ながらに願ふにぞ、主人も感涙おとゞめかね、路資お分つに受けずして、旅行に財は妨なり、身お退きし頃に習ひおぼえし、導引の業こそ、まことに旅路の資なれとて、いと安々と浪華におもむき、おなじきわざにたよりお得て、堂島辺に徘徊するうち、算筆の道くらからざれば、富家のあるじにおしまれて、ことのよし詳に物がたりければ、主家お起すの忠節なればとて、力お合せて得させんといへるにより、諸崎お浪華へむかへ、主従もとよりかの中吉が忠功おあらはさんとて、(かく)の内に中としるして、これお家の印とし、今も浪華にとみさかゆとぞ、