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保暦間記
同〈○正応〉三年三月十日、甲斐国小笠原一族に、源為頼と雲者あり、〈号浅原八郎〉所領なんども得替して、強弓大力也ければ、諸国にて惡党狼藉お致す、いづくにても見合はん所にて可誅由、諸国へ触らる、難協に依て、如何なる企にや有けん、内裏へ参て、夜半に紫宸殿に籠ける、近きあたりの武士等責ければ、父子腹お切了、其時射出したりける矢験に、太政大臣源為頼と書たりけり、不思議の企哉と覚ゆ、