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増鏡
十一/今日の日影
その〈○正応三年三月〉九日の夜、〈○原有誤拠一本改〉右衛門の陣よりおそろしげなるものゝふ三四人、馬にのりながら、九重の中へはせ入て、うへにのぼりて、女孺がつぼねのくちにたちて、やゝといふものおみあげたれば、たけたかくおそろしげなるおとこの、いかちのにしきのようひひたゝれに、ひおどしの鎧きて、たゞあか鬼などのやうなるつらつきにて、御門はいづくに御よるぞととふ、夜のおとゞにといらふれば、いづくぞと又とふ、南殿よりひんがし北のすみとおしふれば、南さきへあゆみゆく間に、女孺内より参りて、権大納言典侍殿、新内侍殿などにかたる、うへ〈○伏見〉は中宮の御かたにわたらせ給ひければ、対の屋へしのびてにげさせ給て、春日殿へ女房のやうにて、いとあやしきさまおつくりていらせ給ふ、ないし剣璽とりていづ、女孺は玄象鈴鹿とりてにげけり、春宮おば、中宮の御かたの按察殿いだきまいらせて、常磐井殿へかちにてにぐ、そのほどの心の中ども、いはんかたなし、このおとこおば、あさはらのなにがし〈○為頼〉とかいひけり、からくして夜のおとゞへたづねまいりたれども、大かた人もなし、中宮の御かたのさぶらひの長、かげまさといふもの、名のりまはりて、いみじくたゝかひおきければ、きずかふふりなどして、ひしめく、かく程に二条京極のかゞりや、みこの守とかや、五十余騎にて馳参て、時おつくるに、あはするこえわづかにきこえければ、心やすくて内にまいる、御殿どものかうしひきかなぐりて、みだれ入に、かなはじと思ひて、夜のおとゞの御しとねのうへにて、あさはら自害しぬ、太郎なりけるおのこは、南殿の御帳の中にてじがいしぬ、おとゝの八郎といひて、十九になりけるは、大床子のえんのしたにふして、よるものゝあしおきり〳〵しけれども、さすがあまたして、からめむとすれば、かなはで自害するとても、はらわたおばみなくりいだして、手にぞもたりける、そのままながら、いづれおも六原へかきつゞけていだしけり、