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中国治乱記
天文廿一年に成りて、杉伯耆守重矩が表裏ありて、義隆卿へ讒言の状ども出現して、陶尾張守是お見て、大に仰天して、扠は屋形の吾お可討とは、思召もよらざりし、偽の讒臣等が中言故、吾らと不和に成玉ひ、下剋上の合戦、天のせめものがれがたしとて、則尾張守は入道して法名全姜と号、義隆卿お奉討、又公家衆おあまた害し、渡唐の合封の印判まで焼失し事、後悔しけれども甲斐もなし、