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総見記
二十三
惟任日向守奉殺逆主君御父子事
今夜〈○天正十年六月朔日〉光秀多勢お率し、中国出勢の行粧、大臣家〈○織田信長〉へ御目に掛べきため、上洛の由披露せしめ、〈○中略〉今夜暁方諸勢本能寺へ参陣し、彼寺お取まき畢ぬ、同月二日黎明、光秀総人数弓鉄炮頻りに放ち巷お揚て、本能寺お攻る、大臣家お始め、御小姓供廻の面々まで、隻当座の喧嘩に依、下々の騒動ならんと思て、各御前近く緩怠の働ども、頗る慮外の由仰出さるヽの処に、次第に玉箭頻に来る、扠は謀叛歟、誰ならんとある処に、森乱丸門外お見帰り、惟任謀叛の由お申す、〈○中略〉大臣家は未だ殿中に於て、御弓お射玉ふ処に、忽に弦切れ畢ぬ、于時御弓お投られ、自身又鑓お提げ、度々敵お突払はれ、然る処に右の肘お鑓にて突れ、御手重く進退不協、是に於て殿内へ入らせ玉ふ、〈○中略〉既に御殿に火掛り来る、時に奥深く入らしめ玉ひて、内よりも御納所口お引立られ、御切腹有之、是御姿お隠さるべきが為歟、其時女房ども取巻き居て、御最期の様体見届奉ると雲々、〈○中略〉右府君の御運の末お歎き奉り、大犯八逆の光秀お、惡まぬ者こそなかりけれ、