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守国公御伝記

書院番田井義孝、〈多源次後に与兵衛と攻む、〉夫妻、祖母に事へて至孝なるお以て、完光公の時賞せらん、加秩お賜へり、一公〈○松平定信〉親しく其状お視んとて、義孝が宅に至り玉ふ、老婆年老ひ、身体自在ならざれば、義孝抱持して出たり、公膝お進めて近づき、種々懇詞お加へ玉ひければ、老婆答謝の辞お述べ奉んと欲する体なれども、感佩の情胸に消り、言ひ得ずして泣伏せり、義孝も側にあじて感泣に堪へず、満坐皆流涕せざる者なかりける、尋で恩賜あふ、且義孝其年五月、江戸祗役の任に当りたるが、老婆四月中下世しければ、優待お以て祗役お免し、諸事お意の如く処置すべしと命じ玉ふ、〈或時老婆飲食に臨み、偶然生紫蘇お欲せり、寒天積雪の時なれば、有べきものにあらず、義孝如何せんと苦慮して、庭前に出、頽壁の隙より縁下お見るに、生出たる紫蘇五六茎あり、天の与へと悦び、急に折取りて、老婆に勧めける、蓋し至誠の感ずる処、古の孝子に異ならずと雲べし、〉是より後藩中お始め、農商に至る迄、孝義の者お賞し、衣服米金等お賜ふこと連綿たり、