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比売鑑
紀行四
ちかき比、備前の国見島の郡小串村にすみける、七郎兵衛といふいとまどしき民あり、むすめたゞひとりもたりけるが、これさへおさなきより、人の家につかはせておきけり、此むすめとしへてのちいとまあきて、親のもとへかへりけるときは、父すでにいたく老たり、母は後のおやなりしが、これもやゝおとろへぬ、ふたおやのたのめる所、たゞ此むすめばかりなるによりて、したしきものあひはかりて、むこおとりすへ、父母おやしなはせんとしければ、むすめいなびていへるには、人の心しりがたし、わがおとことなれらんもの、もしちゝ母にあしくば、われいかばかりおやお思へるとも、心にまかせざる事おほかるべし、そのときくゆるともかひあらんや、おぼつかなきはかり事は、せざるにはしかじ、我女にこそはあれ、たゞ二人のおやなれば、ともかくもやしなひ見ざらめやとて、みづから田畑の事に心おつくし、身おやつせり、人なおしいてむこの事いへど、ついにうけひくけしきなし、たへがたきわざにもよくたへて、ちからのかぎりつとめけるほどに、父もまゝ母もようつとぼしからずして、つねによろこびいけるとぞ、