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長崎夜話草

長崎孝子六人
高雲禅寺の宗融長老は、本肥前国の産なり、当寺住職の中、一人の老母あり、つかへ養ふ事、極めて孝なり、母常に魚味お好めり、素寺中の制禁なれど、母のわかき頃より好めるたぐひお、今さら堅く止め侍らば、老のちから、いよ〳〵おとろへ、寿き持ちがたからんにやと、時々魚類お買求め、門脇なるおのこお頼み、其家にて調味して、母にすゝめ侍りぬ、寺貧しければ、はか〴〵しき下僕もあらず、常に出るに、大かたは供人もなし、ある時、一人市町お往るに、母の好める鮮き魚お売にあへり、悦びて、そこらの知人に銭お借りて、魚お買、葛わらやうのものにつらぬき、みづから手に提もて帰りて、例の門わきなる屋にて調味して、母にすゝめ侍りぬ、ひとへに母お愛するの誠深くて、人の褒貶おおもはず、身の名聞お忘れたる也、是おもてようづおしはかりて、いとたふとき法師なる事おしりぬ、年経て、母も寺にて終り、後に其身は他方にて、遷化有けるとそ、学才も大かたならぬ人なりしとかや、