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窻の須佐美

或人小石川白山辺に住けるが、子二人持て一人は男子なり、〈○中略〉二十に及まで、猶あらくたけ〴〵しければ、自不孝の名お得て、世にもにくみあひけり、其うしろの家に老儒すめり、常に此子の親に不順なるおにくみ、折節は雲出ても詈りけり、或夕暮彼子来て見へんと雲に、〈○中略〉老儒手お打て、其方は不善人にてはなかりけるそや、学問は其改めんとおもふ心即ち基なり、〈○中略〉今よりして孝の道お習はれよ、明日と雲は今夜の間おいかゞせん、隻今の言下より孝お尽さるべし、記に曰、朝に省み夕に定とこそ、今夜あけなば父御の寐たる所に往き、夜の程の安否お伺ひ、さて朝夕配膳して茶おも上、これより始て百行みな孝心お以てすれば、よからんと雲けるに、仰せ謹み承りぬ、〈○中略〉明日より必ず教の如くなし候半と雲ければ、定て父御驚き却て怒らん、さもあらば、わが許に来られよと約して帰しぬ、次の日早朝教の如く枕の許にいざり寄て、夜中の寒気に無恙御座ありしやと、小声に雲お聞て、父其儘起きあがりて、こはくせものと追うつ程に、走出て老儒のもとにかくれぬ、〈○中略〉父は怒れる眼に涙おうかめ、さりとてもわればかり不幸なる身はあらじ、たま〳〵持たる一人の子、常に不敵にしてにくさげなれど、勇壮にして人にうたるゝ事はあるまじと、これのみなぐさみにして過行つるに、今朝よりの有様狂気してけり、いかなる天の責にて、一子如此ぞとさめ〴〵と泣ければ、母袖おしぼりあへず、御身一筋にのみ心得て、渠がこゝろお知りたまはぬぞよ、心おしづめて聞しめせ、昨日の夕かたうしろなる老儒の許に走行し程に、常のあら〳〵しきお知たる故、気遣しく跡につき行、外に立寄ひそかに立聞しつるに、しか〴〵の事に候ひしとて、始よりの事お具に語りけるに、父つく〴〵と聞き、物おもいはず有けり、次のあした又枕にそひて、昨日の如くせしに、此度は怒らず、さて膳お奉りぬれば、うれしげに喰けり、さてありて彼子お呼て、女心おあらためたるよしお聞て喜びぬ、此うち見れば、刀の柄のふるびたるに、こしらへせよとて、金おつゝんであたへける、これよりして親子むつまし、かく心おつくして仕へけるほどに、孝子ぞと近所に称せられけるとそ、〈○中略〉
大坂の商家に、国分弥左衛門と雲者、母と弟とありしが、弟なるもの、姦計にして、兄の家おとらんと思ひしかば、母お欺て、兄の非おあげて、追失はん事お、奉行所に訟に出けり、さて弥左衛門召寄られ、母が申処おもひしれりや、申事あらば明すべしと有しかば、弥左衛門申様、母が申処皆理りにて候、某とても不孝せんとは、願ひ不申候得ども、性の拙くして、おのづから背き申せし事、重畳して、如斯申立候上は、申披くべき事も曾てなく候、此上ははやく母が願みてさせ、某お如何なる罪にも処せられ候得と、またなく申けるに、母涕泣袖に余り、女心のはかなくて、かく申ば、己が為に罷成ぞと申に付、弟にめでゝ訟申候、兄が事に背かざる事は、近隣の存たる所に候、自らあさはかに申たる罪おば、御許ありて、本の如く兄おたておかせ給へ候べしと、くどき申ける、弥左衛門が母に背かず、罪お負だる条、左もあるべきながら、神妙なりと称美ありて、弟が罪かろからざるに論きわまりて、追放せられけり、