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窻の須佐美追加

元文三年の冬、浪花の舟士勝浦屋太郎兵衛と雲者、米船お盗とり、さま〴〵の謀計あらはれて、三日が間さらして、死刑に処せらるべきとて、十一月廿八日よりさらされける、その子長太郎十二歳、むすめ市十五歳、まき同年、翌二十三日夜もあけざるうちより、町奉行佐々氏まかり、父の代に我々どもお刑せられ、父お免し給れと、自筆の上書して又なく願ける、まだ幼少なる故、願の書もしどけなく、殊に長太郎は養子に候間、我等お失て給れと、二女の書上たるに、長太郎は某おも代りにとりて給れと書出ける、両奉行立あひて此事お尋きかれ、若し人のすゝめけるにやと、其所の者どもお呼て、此事お知たるにやと糺明有けれど、誰も曾てしらず、母は此事おしきりに制しぬれど、隠して三人出けるよし申、三見の思ひ入たるけしき、此事かなはずば、火にも水にも入ぬべく見て、ふし沈み歎候有さま、上下皆見るに不為して、先さらしおける者おやめて、かさねて沙汰すべきとて、やう〳〵にかへされけり、さて其旨江戸に達し、御指図有て、その明のとし、刑人は死罪おゆるして消放有けり、三児の至誠人お動しぬること、誠にまれなるためしにこそ、