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孝義錄
十五/陸奥
孝行者たつ
たつは、名取郡上余田村百姓二兵衛が妻なり、完保二年八月四日、舅三郎兵衛と同じく、屋敷の西なる畑に、大豆お引干せんとて出しに、増田町の方より、猪ひとつ走り来り、三郎兵衛に疵おはせ、又かけよるお、二兵衛が妻みるより、とくかの猪にくみつき、やがて猪にうちのり、右の手お猪の口へさしいれ、舌おおさへおりし、かたへなる小溝へのりこむ時、ついにふり落され、うつふしに落たる上に、猶のりかゝりて、処々喰つきければ、大小二十六所まで、疵おひしが、ついに舅の身つつがなく、猪はいつちへかにげさりぬ、〈○中略〉同き九月、領主より金おあたへて、かの妻お賞しき、