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芸備孝義伝
一/広島
松田伝之助
伝之助は、沼田郡中調子村農民八兵衛が子なり、三四歳の頃、みなしごとなりぬ、姉は御露次の小人、丹九郎が妻なり、子なければ、幸に子としてやしなひ置けり、一とせ丹九郎、江戸の本邸に在けるが、御露次の部屋に物亡(うせ)て、七八人禁獄せらる、丹九郎もそのうちなり、伝之助かくと聞て、くふ物おもくはず、うらぶれ居しが、年もかへりて春になりぬ、今年は十二になりけるが、思立て、いかにもして、江戸にいたり、父にかはりて、如何なるうき目おもうけばやと、夜お日につぎて下りける、もとより旅の用度もなければ、飢ては路のべにさまよひ、疲ては橋の上にまどろみ、川おわたり嶺おこえ、からうじて江戸に著、御館の門にいたりて、かくとまうしいれければ、御館の内、ゆすりみちてぞ感じける、いくほどなく、丹九郎はれやかになりて、引かへ格おすゝめられ、氏帯刀おゆるされ、伝之助には、褒美そこばくお下されける、宝暦六年九月十三日のことなり、