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孝義錄
四十九/肥後
孝行者伝次郎 孝行者同妻
伝次郎は、阿蘇郡小国の郷下城村のものなり、父母の年老て家お譲り、別屋にすみしが、父母ともに茶お好み酒お嗜ければ、伝次郎夫婦ともに朝とく起て茶お煎じ、和らかなる物お調じてすゝめ、外に出れば必酒お求て帰り、又酒屋の便あるたびごとに買求てたくはへ、その望めるときにすゝむ、家もとより貧しければ、朝夕の食もよき味おすゝむる事あたはねども、夫婦心お用いて調へずといふ事なし、伝次郎つねに父にいへるは、すべて食過るは養生の道にあらず、たゞ少しづゝ度々にくひて、その程お過し給はず、一日も長く世におはさんこそ、わが願ひなれといひけり、行ときは父の影おふまず、日影さす地に用お便せず、凡日いづるまでいねんことは、天道の罰おそれありと思ひとりて、夫婦ともに夜明ぬさきに起けるとぞ、父のすみたる屋の思ふやうにもあらぬお、心苦しく思ひしが、貧き中には心にもまかせざりしお、とかく営み作りてすませぬ、久住の駅はこの所より八里ばかりへだゝりしお、領主の江戸にゆくたびごとに、此駅お過る時は、里人みなその所にゆきて役おつとめしが、伝次郎が生れつき健かならねば、重荷おおふ事あたはず、かゝれば賃お出して、人お雇ひ出す事なるお、伝次郎はだゞ賃お出して己が家に安く居ん事あるべからずとて、はる〴〵久住の駅に行て、己が力に堪べき事はつとめ、力にたへざる所のみ賃お出して人お雇ひけり、その妻もまたなみ〳〵ならぬものにて、舅姑に孝お尽し、夫お敬ひ、仮初にも伝次郎がふしたる枕の上お、過る事なかりしとなん、安永三年三月、領主より夫婦の者お賞して、物多くとらせけり、