[p.1088]
一話一言

鈴鹿孝子伝
孝子万吉は、伊勢国鈴鹿郡坂の下宿古町の人なり、〈○中略〉貧しき中に母痒の病いできてなやみがちなれば、〈○中略〉万吉六歳の時(○○○○)、ふかくこれおなげき、母の病おこる時は、近隣にゆきて、薬お乞て、是にあたへ、もみさすりて、病お扶け、扠又日々に街道に出て、往還旅客の小き荷など持て、その賃おとるといへども、稚けれぼ、重き物お提挈する事あたはず、いさゝかの風呂敷包、或は鎗長刀など持て、鈴鹿山の撿阻お登り下れども、得る所は三銭五銭に過ず、日ごとにおこたらず、かくするうちにも、いく度も家に立帰り、母がきげんおうかゞひ、夕にはかの得る所の銭お集て、母にあたふ、天明三年癸卯、天下飢饉して、五穀のあたへ貴く、尋常の農商、餓死するもの多き中に、万吉力おはげまし、半合一夕の米穀お得て、母にあたへ、母食ざれば、一粒もおのれ食はず、その辛労、筆紙につくしがたし、其頃やうやく近隣に、その孝おしるもの多し、〈○中略〉今年天明七年丁未三月四日、御奉行所にて、御褒美として、白銀二十枚お賜り、又母お養ふため、一日米五合づヽ永くこれお下しおかる、〈○下略〉