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老の長咄
かたましき姑につかへし嫁あり、年お経て語るに、われら若かりし時、姑のきげんおさまざまにあしらへども、兎角気にいらず、いかゞせんと、画夜に此苦労たへず、気分もあしくくらせしが、ある時不斗心に思ふは、我かゝる事のみにては、終に病ひの種となりなん、さすれば実の父母にも、歎きおかけ、姑おも又人毎にあしざまにいはせんは、是不孝の第一也、已後は万事おろかにして、心もつかはず、孝もなさず、世間には不孝の嫁よといはれて、此家にさへ添ひ暮しなば、是孝の一ならんと、わが心にこゝろおばとりなほして、やゝ三十年の過しと語る、げにかしこき婦人かなと感せしが、近きわたりに、むつかしさは、すぐれたる姑につかへる嫁あり、我心付ず、此噺しおやせしとも覚へずありしが、十年の余もすぎて、其母のうせし後、かの婦人のいふは、其むかし御噺しなされしお承りて、私もその如くなせしにより、今まで添ひまいらせ候、さて〳〵有がたき御物語なり、それにつき、さるかたの嫁御にも、五六年以前此噺しいたし候へば、これもその心になりつゝおこなひて、姑の死去まで付添ひ申され候と、よろこび涙おながしつゝかたる、我も思はず、はなうちかみぬ、