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明良洪範

完文の末、凶年打続ける故、乞食共多、柳原土手に小屋お掛、御扶持お下されける所に、下谷三枚橋に老たる母お背に負たる非人有り、著すべき衣類もなく、腰の立ぬ母お養ふ也、柳原の小屋迄も行事ならずして、橋の上に居由上聞にや達しけん、別に御扶持米お下され、小屋も得させ、其町内へ母子の世話致遣はすべき由仰付られける、孝心台聴お動しける、此事お伝へ聞き、姦惡の者母お負て往来する者あり、是は仮に雇たる母なれば、日暮に及べば東西へ別れ去る、其時貰し米銭の数お互に論じ、握み合などしける、此事上お偽るに似たる事なれば、悉く禁じらるべきやと、町奉行より申立、評議の時、重矩〈○板倉〉申されけるは、惡事さへ似せたる者は本罪より軽かるべし、況や善事お似せたるに、罪すべき事かは、殊に孝行の似せこそやずしけれ、其儘差置べし、実ならぬ者は労巻して、長くは続ざる物ぞと申されしが、果しお其詞の如く終に止たりしと也、