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一話一言
二十八
八丈島教諭
凡人と生れて我身より大切なるものはなし、わが身お養はんがために、つねの住所おもとめ、夏冬の著物おもとめ、朝夕の食おもとむるも、みな我身お大切に思ふが故なり、しかるにそのわが身のもとは、親よりうけ得たるわが身なり、わが身お大切に思はゞ、うみつけし親ほど、大切なるものはなしと思ふべし、人々生れおちてより、いとけなきうちは、親の手おはなるゝ事なく、親ほど大切なるものはなしと思へど、やうやく年おとり、おのれが手足の自由にはたらくにしたがひて、親おそまつにし、親のいふ事おきかず、親の心にそむくもの多し、おのれが親おそまつにするならはしにては、わが身も次第に年よりゆけば、又わが子にそまつにさるゝものなり、さればわが老人お大切にする心もちにて、人の老人おもうやまひ、わがいとけなきものおそだてあぐる心もちにて、人のいとけなきものおもあはれむべし、老人の中にて耳目もうとく、手足もかなはざるものは、ことさらに大切にいたはりて、かいほうすべし、これみな人のためにする事と思ふべからず、めん〳〵年よりて後、思ひあたる事あるべき也、
中川飛騨守奥書
右之通おしゆる上は、殊さらにあつく存じ、父母老人お大切にすべし、若此後かく別に孝行のきこへあらば、御ほうびも被下、品によりては父母へも御手あて被下べし、若又かくのごとくおしへ置といへども、なお父母おそりやくに致すもの、相聞ゆるに於ては、きつと御咎にも仰付らるべき間、よく〳〵こゝつへちがひ無之様相守べし、
右御勘定奉行の命によりて、予〈○太田蕈〉が草する所なり、八丈島の高札に書有之、此文お文化元年長崎にゆきし時、紅毛通詞〈志筑忠次郎〉に見せしかば、転じて加比丹へんでれきどうふに見せしに、 加比丹よき教渝なりとて蘭語になして、予に贈りしお家に蔵す、