今昔物語

二十

大和国人為母依不孝得現報語第卅一
今昔、大和国添の上の郡に住む人有けり、字お瞻保と雲ひけり、此は公に仕る学生也けり、明暮は文お学んで有けるに、心に智や無かりけむ、母の為に不幸にして不養はざりけり、其の母子の瞻保が稲お借仕て可出き物無かりけり、不償ざりけるお、瞻保強に此お責けるに、母は地に居たり、瞻保は板敷の上に有て責め雲けるに、此お見る人瞻保お誘へて雲く、女ぢ何ぞ不孝にして母お責るぞ、世に有る人父母に孝養するが為に寺お造り塔お起て、仏お作り経お写し僧お供養す、女ぢ家豊にして何ぞ母の借れる稲お、強に責めて母お令歎ると、瞻保此お聞と雲へども不信ずして尚責るに、斯お見る人共見繆て彼の母の借れる所の稲お、員の如く弁へて母お不令責ず成ぬ、其の時に母泣き悲て瞻保に雲く、我れ女お養ひし間、日夜に休むこと無かりき、世の人の父母に孝しお見ては、我も彼れが如くならむずと思て、憑む心深かりき、而るに今我れに恥お与へて、借れる所の稲お強に責る事、極て情無し、然らば我も亦女に令呑し乳の直お責めむと思ふ、今は母子の道は絶ぬ、天道此の事お裁(ことは)り給へと、瞻保此お聞くと雲へども、答ふる事無くして、立て家の内に入ぬ、而る間瞻保忽に狂心出来て、心迷ひ身痛むで、年来人に稲米お借して、員に増して返し可得き契文共お取出、庭の中にして我焼き失ひつ、其の後瞻保髪お乱て山に入て、東西に狂ひ走る、三日お経て自然ら俄に火出来て、瞻保が内外の家、及び倉皆焼ぬ、然れば妻子食物無して皆迷ひにけり、瞻保亦食無きに依て、遂に飢へ死にけり、不孝に依て現報お得る事不遠、此お見聞く人、瞻保お憾み謗けり、然れば世の人勤に父母に孝養して、不孝の心お不可成ずとなむ語り伝へたるとや、