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源平盛衰記
四十四
大臣殿舎人附女院移吉田並頼朝叙二位事
大路お渡して後は、〈○平宗盛等〉判官〈○源義経〉の宿所六条堀川へぞ被遣ける、物まかなひたりけれ共、露見も入給はず、互に目お見合て、たゞ涙おのみぞ流し給ける、夜に入けれ共、装束もくつろげず、袖片敷て臥給へり、暁方に板敷のきしり〳〵と鳴ければ、預の兵奇て、幕の隙より是お見れば、内大臣〈○平宗盛〉子息の右衛門督〈○清宗〉お掻寄て、浄衣の袖お打きせ給けり、右衛門督は今年十七歳也、寒さお労給はんとて也、熊井太郎、江田源三など雲者共是お見て、穴糸惜やあれ見給へ殿原、恩愛の慈悲ばかり、無慚の事はあらじ、あの身として単へなる袖お打きせ給たらば、いか計の寒お御べきぞや、責ての志かなとて、猛きものゝふなれ共、皆袖お絞けり、