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孝義錄
二/伊勢
兄弟睦者たつ
三重郡芝田村の氏権平が妹おたつといへり、兄は病おほき者にて、四十年ほど起臥もかなはぬ上に、八年先より目しいけり、もとより無高者なれば、たつは村のうちおはしり廻り、請作とて人の田畑お耕して世お渡りけるが、家極て貧ければ、たれ婿にならんといふ人もなく、おのれも男にまみえん事おおもひきり、兄の側にのみいりて、起臥にこゝろおそへ、木綿糸くる業おなし、又は村のいそがはしき時は、近きあたりに雇はれ、その賃おとりて、世わたりの助とし、兄には穀物おたべさせ、己は菜大根の糧ばかりくらひけり、兄は煙草お好めるが、手足かなはずして、きせるさへ持事あたはざれば、人の家にありても、いく度となく帰りきて、その諸用おもたしてけち、冬の寒きにも、おのれはつゞりだる衣まとへど、兄には綿の入たる物おきせ、夜の衾まで調へてあたへ、雨の夜雪の朝には焚火おし、はるゝ日は日あたりに伴ひ、夏のあつきには木蔭におひゆき、夜は蚊屋り火して眠もやらず付居りしお、村の者も聞てあはれがり、蚊帳おもおくりしとぞ、祝ひ日又は斎非時にまねかれ行ても、主のもてなせし物は、はじめよりのけ置て家土産とせり、兄につかへて心おつくせし事、領主に聞えしかば、天明七年に米と銭とおあたへて、その行お賞しけり、かくてのちも介抱おこたらざれば、又も完政三年に鳥目おとらせ、兄弟の者に月ごとに麦おあたへしとなん、